目黒製作所

2021年8月18日バイクメーカー,その他

戦前~戦後にわたりメイドインジャパンのバイクを日本へ広めたバイクメーカーがありました。
その名は、目黒製作所。
第二次世界大戦の1937年以前からバイクメーカーとしてバイクを作っていました。
当時は、日本のバイクメーカーとして最も有名でした。
後の1964年、経営破綻をし、川崎航空機工業(現在の川崎重工業(カワサキ))がメグロ製作所からバトンを受け継ぎました。

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目黒製作所の前身は、1910年代後半に、江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜の十男として生まれた勝 精(かつ くわし)が趣味で、屋敷内にバイクを作る鉄工所を作りました。

引用:wikipedia

勝は、当時、発売されたばかりのバイクであるハーレーダビッドソンに興味を持ったことが理由とされており、勝の鉄工所は1000ccのバイク「ジャイアント」を製作しました。

その後、勝がバイクに飽きがきたようで鉄工所を解散。
勝の鉄工所で働いていたのが、村田延治(むらたのぶじ)というメカニックでした。
村田含め、勝の鉄工所で働いていたメカニック達を集めて、目黒製作所を作りました。
目黒製作所を作る1年前、鈴木高次が鈴木鉄工所を作っており、縁あって鈴木鉄工所に勝の鉄工所で働いていたメカニックが入り、目黒製作所と称したそうです。

目黒製作所の名前の由来は、東京都の目黒の地名から、目黒製作所となりました。
こうして、1926年、目黒製作所が設立。
後に、株式会社となったのは13年後の1939年。

目黒製作所は、すぐにバイクを作ったわけではありませんでした。
車の修理と、バイクメーカーのトライアンフの部品製作が主な仕事だったと言われています。

1932年、目黒製作所はエンジンを作り始めました。

引用:日本の自動車技術330選 メグロZ97

5年が経ち、1937年、目黒製作所が作ったバイク「Z97」が遂に完成。
4サイクルエンジン・単気筒・500cc・OHVという仕様。

当時、Z97は良く売れたそう。
しかし、第二次世界大戦の影響で、航空機の部品を作るようになり、バイク作りは中断。
戦後になると、再びバイクを作り始めます。

目黒製作所の作るバイクのブランドイメージは「大排気量、高性能、高品質」。
ブランドイメージ通り、目黒製作所の大排気量バイクは公道・レースで速かった。

長野県と群馬県の境にある、活火山の浅間山で開催された全日本オートバイ耐久ロードレース(通常、浅間火山レース)のセニアクラスで目黒製作所のワークスマシンであるRZが上位を独占。

引用:タイムトンネル
目黒製作所:Z7(500cc)

1959年、年間販売台数15,000台を達成。

1960年代中頃になると、日常生活の移動手段につかうコミューターバイクの需要が増えました。
大排気量バイクはメグロは得意でしたが、小排気量は苦手。
しかし、目黒製作所は、頑として大排気量のバイクを追求し続けました。

そこに、小排気量のバイクのブームにホンダが乗り、目黒製作所は乗れずに業績悪化。
目黒製作所が戦前より活動していたバイクメーカーとしての最後でした。
1964年、事実上の経営破綻。

経営破綻した目黒製作所に手を差しのべた会社は、川崎航空機工業(現:川崎重工業)。
目黒製作所の想い・技術は川崎航空機工業へと受け継がれ、目黒製作所は吸収されました。

そして、第一弾としてリリースされたのが、「Kawasaki meguro K2」。これは、目黒製作所のフラッグシップであった「STAMINA K1」を再設計したバイクで、主な変更はクランク周りの弱さの改善のようです。
タンクのロゴをみていただけると(動画の中で拡大映像あり)、羽根の中にあるのが、川崎航空機工業の象徴であるリバーマークとなっています。
リバーマークとは、創業者の川崎正蔵が自ら考案した、川の字をモチーフにしたロゴで、「さらに先へ、さらに上へと極限に挑み続ける事」の想いが込められています。

後に、世界戦略車として「W1」をリリース。K2は500cc、W1はさらに高速走行出来るようにと当時最大排気量となる650ccとしてW1が発売されました。
K2やW1をはじめ、現行のWシリーズで特徴的なのが「バーチカルツインエンジン」。バーチカルツインエンジンとは、地面と垂直にエンジンが配置されている(バーチカル)、2気筒(ツイン)という意。
360度クランク同爆エンジンによる排気音は、アイドリングではドコドコと心地良く、スロットルを開けると迫力のあるエンジン音が特徴的でファンを集めて行った。

引用:B&Cボルドール

W1の排気音レコードが出るほどだった。
右足はシフトペダル、左足がブレーキペダル、右手にウインカースイッチと、今のバイクとは操作部品の配置が異なっていることも特徴的。

北米仕様としてツインキャブを採用したW2SS、ストリートスクランブラータイプのW2TT、国内仕様のツインキャブW1S(通称:スペシャルエス)、左足をシフトチェンジにしたW1SA(エスエー)、Wモデル最後のW3を発表。

Wシリーズが終わった後も、次々と川崎重工業は名車を作った。
500SS(H1)、900SuperFour(Z1)、GPz900R、Zephyr、ZX-9R、ZZR1400、ZRX1200DAEG、W800、Z900RS、H2

2021年、MEGURO K3を発売。

目黒製作所の最終車種は「K2」、その後継バイクを作ったと捉えられる「K3」と命名。
川崎重工業には、今もなお目黒製作所と一緒にバイクを作っていると思わせてくれます。

バイクメーカーのメイドインジャパンの礎を作った目黒製作所の紹介でした。